伝蘇我馬子墓

住所 太子町太子

この場所をGoogleで検索

紹介

蘇我馬子の墓については、古くは江戸時代の古文書にも記されています。石塔は二上山で採れる凝灰岩でできていて、鎌倉時代に造られたものです。蘇我馬子は飛鳥時代の人ですが、お墓が鎌倉時代とは不思議なものです。

実は有名な「日本書紀」には蘇我馬子のお墓がどこにあるのかが書かれていません。ところが、鎌倉時代の古文書には、そのお墓が「聖徳太子御廟の南東方向にある」と書かれています。これ以降、蘇我馬子の墓は太子町にあるとされています。

蘇我馬子の墓と言えば明日香村の石舞台古墳の説が有力ですが、これは明治時代以降です。太子町のお墓は鎌倉時代に遡ります。地元では、蘇我馬子は聖徳太子とともに仏教を広め、先進的な政治を行った人物として信仰されました。

口コミ